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三崚堂ブログ

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医心方

医心方は全三十巻からなる日本最古の医学全書で、丹波康頼(912-995)が984年に朝廷に献上したものである。

丹波康頼は丹波国、天田郡の出。祖先は後漢の霊帝の曾孫の阿知王と云われ、魏に追われ一旦帯方に逃れたのち、応神朝に明日香の地を賜わって一族郎党と共に来朝したとされている。

康頼の子:秀忠、孫:政忠の名医ぶりは『今昔物語』に記載されているし、かの『源氏物語』は康頼の没後に著されている。

そういう時代の人である。

ちなみに陰陽師として有名な安倍晴明は康頼より九歳下で、同時代を生きた人である。つまり、この時代は陰陽術による呪(まじな)い的な治療も鍼灸術による治療も共存して行われていたようだ。

さて、その医心方・第二巻が『鍼灸篇』となっており、これを読んでみた。

この『鍼灸篇』は康頼が後進の者達の治療や勉強に役立つようにと、明堂経のツボ649穴と諸家方のツボ11穴の合わせて660穴を、頭、顔、頤、頸、肩、手、背中、胸、腹、脇、足などの部位ごとにまとめ、鍼の刺入深度、据える灸数、主治などを説明してくれている。

現代の主治とは異なるものが多く『?』と思えるような記述も多いが、それが当時の医療だと思えば民俗学的に面白いかもしれない。

例えば、虫を飼って殺しあいをさせ、生き残ったものに呪願して憎む相手に取り憑かせるという呪咀があり、取り憑いた『蠱(コ)』というものの治療法などが記載されている。『???』である。

このような陰陽術との関わりが見てとれる内容が、当時の朝廷に献上した書物に記載されているのである。陰陽術が社会的に受け入れられていたということが窺えて非常に興味深い。

あと3年ほどで丹波康頼の生誕1100年、今年は医心方を編纂して1025年目である。1000年を経て後も読み継がれる書物を遺すとは何と凄いことか。尊敬せずにはいられない。

…そういえば、丹波哲郎も康頼の子孫だそうだが、『大霊界』や『キーハンター』では1000年後に遺ってはいないだろうなぁ。


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2007年3月、満を持して治療院を開業しました。

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